青山プロダクション所属俳優、志村嘉人、そのマネージャーの小杉とスタイリストの清水、そして工藤がフランクフルト国際空港に降り立ったのは、一段と寒い夜だった。
アテネ、エーゲ海などで時間と歴史を盛り込んだミステリードラマ「大いなる旅人」の第四弾の撮影が、現場の準備不足などもあって手間取り、撮影を終えて即、フランクフルトへ移動ということになった。
工藤は今回の撮影の間中、イラつきまくっていた。
現地スタッフは言葉が分からないのをいいことに、結構いい加減な連中が多いので、最初から工藤は怒鳴りまくった。
半分ほどをクビにしろ、と仲介役の男に告げたところ、クビにされては困るらしく、ようやく指示通りに動き始めた。
本来なら、もう一日早くフランクフルト入りし、体を休めてから動く予定だった。
携帯などでチマチマメールしたりするのを嫌っている工藤からは、日本で佐々木と一緒に車の中で電話を受け取って以来連絡もなく、良太からも連絡していなかった。
代わりに小杉とは頻繁にスケジュール確認をし、玲於奈が迎えにいくことを連絡しておいた。
パーティの会場となったのは、一行が宿泊するホテルの一室だった。
良太から撮影が延びており、済んだら即フランクフルトに来るということを聞いた英報堂のスタッフが、一行が疲れているだろうと気を利かせて急きょパーティ会場を変更したのだ。
「お疲れ様です」
志村や小杉、それにドラマの撮影に同行しているスタイリスト兼メイクアップアーティストの清水由里香の後ろから工藤が姿を現すと、良太は何やらほっとすると同時にそれこそ尻尾でも振って駆け寄っていきそうな自分をかろうじて抑えた。
ただ、迎えた一行の表情から、かなりの疲労状態だとも見て取った。
いつも以上に不機嫌そうな顔で入ってきた工藤に至っては、こりゃ、かなりきてるな、と判断する。
「ねえ、広瀬さん、私、工藤さんの気に障ること何か言ったのかも」
一行と英報堂フランクフルト支社長初めスタッフが挨拶を交わし、乾杯をしたあと、玲於奈が良太の腕を引いて壁際に連れて行った。
「ああ、あの人、あの仏頂面がいつもの顔だし。それに実を言うと、工藤、パーティって苦手なんですよ。だから気にすることないです」
良太はちらと工藤に目をやった。
そこにはケーテ女史に潤んだ目を向けられながら、何やら言葉を交わしている工藤がいた。
ちぇ、すぐ、あれだよ。ちょっといい女だと、据え膳食わぬはとかって……
「そうなんですか? よかった。でも、ほんと、工藤さんてステキですね。俳優さんっていってもおかしくないっていうか」
「あの人、ダメダメ。外見はまだしも、すぐ怒鳴るし、演技なんて絶対無理無理。やっぱりうちの看板は志村さんですよ。オーラが違います」
玲於奈にまで憧れの眼差しを工藤に向けさせたくなくて、つい、良太は必要以上に志村を持ち上げる。
クスクス笑いを交わしあう二人は気づかなかったが、その様子に眉間の皺をさらに深めたのは工藤だった。
ケーテがベトッと工藤の傍にいて離れず、いろいろな質問をしてくるのでウザったいと思いつつ、適当に相槌を打つ。
良太のやつ、さっそくあんな小娘にホイホイしやがって。
この大歓迎パーティとやら、いい加減にお開きにしたらどうだ。
こっちは疲れ切ってるってのに、でかい赤ら顔め。
第一、何だって、冬のアウトバーンなんか走らせるんだ、フジタは! このクソ寒いドイツなんかで!
ここにきて疲れている上に、何やらウザったいことばかりが目について、グタグタと心の内で突っかかっている工藤の心の声など、もちろん誰も知るよしもない。
工藤のイライラが通じたのか、睨みつけるような眼差しに恐れおののいたのか、いい機嫌で顔を赤くした英報堂の支社長が、皆さん、お疲れのようだし、そろそろお開きにしようと切り出した。
「志村、ゆっくり休めよ」
工藤は志村に声をかけると、支社長に形ばかりの挨拶をして部屋を出て行く。
それに気づいた良太は、思わず後を追おうとして、「良太くん」と志村のマネージャー小杉に肩を叩かれた。
「あ、お疲れ様です」
「明日からのスケジュール、いい?」
「はい、じゃ、小杉さんの部屋でいいですか?」
そうだった。
うっかり仕事のことが頭から抜けていた。
良太は玲央奈や英報堂のスタッフに挨拶をして、小杉と一緒にエレベーターに乗った。
部屋は予約した時の空き状況の関係で、小杉と清水の部屋は良太と工藤の部屋の上の階に、志村はその上の階となっていた。
「今回、いつも以上に超多忙スケジュールになっちゃってね」
スケジュールの確認が終わると、小杉は現地スタッフがいい加減で、工藤が一時解雇しろと言い出したことなど、ポツリポツリ話しながら苦笑した。
「工藤さんなんか、それこそ雷落とすなんて生易しいもんじゃない、トルネードで何もかも吹っ飛ばしそうなくらいな勢いでカッカきてて、用があっても誰も近づけなくて、ここに良太くんでもいてくれたらなんて、時々志村と話してたんだよ」
「俺なんかいたって、それこそ吹っ飛ばされてますよ」
ハハハ…と笑うが、良太は工藤の機嫌悪そうなようすから案の定だと思う。
常に穏やかで真面目な小杉がそんなことを言うということは、工藤の怒りのボルテージはギリギリまで上がっていたに違いない。
「いつものことながら、工藤さんが一番動いてくれて、疲れようも半端じゃないよ。遅れは一日で留めてかろうじて撮影は終わったのはいいけど」
小杉は目に隈をこさえた顔で言った。
「はあ。皆さんも、じゃあ、相当お疲れですよね」
こりゃ、こっちのあれこれを聞いてもらうどころじゃないや。
はあ、とため息をつき、良太は早々に小杉の部屋から退散した。
いつもながらどんなハプニングがあっても仕事は遂行する、しかも手は抜かない、そんな工藤の信念は揺らぎようがない。
自分の体のことももっと考えろなんて言ったところで、あの男には素通りするだけだ。
だったら、極力工藤を頼らないで自分でやるっきゃない。
こっちにいるうちは、俺にできることをとにかくやっていく。
良太はひとり頷きながら、工藤の部屋のドアを少し見やり、自分の部屋である隣の部屋のキーを差し込んだ。
ドアを開けて入ろうとした良太だが、いきなり後ろ首を掴まれて隣の部屋へ引っ張り込まれた。
「うわっ、何だよっ………」
バタンとドアが閉まる音が聞こえた気がしたが、息をもつがせぬくらいな性急さで唇が蹂躙される。
良太を壁に押し付けたまま、幾度も強襲する口づけに次第に良太の頭の中は何も考えられなくなる。
(限りなく傲慢なキス より抜粋)
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「すげーだろー、良太ちゃん。この太陽がなーー」
下柳が真冬の空に銀色に輝く太陽のシーンをみながら、またしても感動の台詞を吐く。
「ほんと……すんげ……」
「良太ちゃん、初めて見る人なんだから、その視点で何でもいってみて」
「あ、あの、あれ、なんですか? 犬ぞりの右端に写ってる紅いもの」
下柳に促されるまま、見て気づいたこと、思ったことを良太は素直に口にする。
「ああ、あれは雪上車だな。妙に紅いな、カットするか」
無造作に顎に手を持っていきながら下柳が言った。
編集の作業というのが新鮮で、スタッフに良太も混じって画面を見つめることに夢中になっていた。
しばらくして、いつの間にか工藤がきていることに気づき、良太は声をかけようとしたが、何やら腕組みをしたまま宙を見ている。
何かあったのかな。
良太も工藤とは二年以上もつきあっているのだから、工藤がどういう状態なのかくらい大体把握できるようになった。
触らぬ神に祟りなしとか?
とりあえず放っておいたが、やがて良太も工藤も次のスタジオに向う時間が近づいていた。
「じゃあ、またのぞかせていただきます」
「何だよ、もう行っちゃうのか? 良太ちゃん」
気のいいスタッフたちが名残を惜しむ。
笑って手を振る良太だが、前を行く工藤の背中が、何やら重そうな雰囲気なのに首を傾げた。
「中林重工でしたね、えっと、丸の内っと」
ナビで交通情報を確認しながら、良太はハンドルを切る。
さっきからものも言わず、煙をくゆらせている後部シートの工藤をチラと見やり、こっそりため息をつく。
何やら不機嫌そのものの気配が漂ってくる。
俺、また何かやらかしたっけ?
自問自答してみるが、とりあえず大まかなところでは思い当たらない。
「良太」
不意に工藤が声をかける。
「は、い」
「沢村からプロジェクトに誘われているんだってな」
いきなり、工藤の口から飛び出してきた思いもよらぬ内容に、良太は飛び上がりそうになる。
「え、それは…」
何で工藤がそんなこと。
「昼に沢村に会った」
「へ?」
どうして?? 工藤が沢村と?
赤信号で良太は慌ててブレーキを踏む。
「いい話じゃないか」
「何がです?」
良太は思わず聞き返す。
「やつが作る野球チームに入れば、念願のメジャーも近くなるしな。来年はメジャー行きを決めてるそうじゃないか」
「その話ならとっくに断りましたよ、俺」
「断る必要はないだろう? 無理して意に添わない仕事を続けるより、好きな仕事をする方がいいに決まっている」
良太は工藤の言い方にカチンとくる。
「意に添わないなんて、俺は思ってない」
「金のために仕方なく続けてきただけだろう。沢村が肩代わり、いや、金銭トレードってとこか? お前を欲しいと言ってきた。よかったじゃないか。もう、金にしばられることもない」
沢村がよもや工藤に会うなんて思ってもみなかったことだ。
「何言ってんだよ! 俺は仕方なくなんてやってねーよ! せっかく仕事が面白いって思い始めてきたのに」
車は既に丸の内に入っていた。
「笑わせるな。この仕事はちょっとカジったくらいでモノになるような代物じゃない。うちもそろそろ即戦力になる社員を入れようと思っていたところだ。俺もいい加減年だからな。この先、今と同じような状況でやっていけるわけがないのは目に見えている」
それが、実情か。
工藤がちょっとは認めてくれているだなんて。
さっきまで浮かれていた心が急速に凍りついていく。
「つまり、俺はお払い箱ってこと?」
「お前はお前らしい土俵で構えろと言ってるだけだ」
俺らしいね。
良太は口をゆがめて笑う。
(月さゆる より抜粋)
その日はロケの最終日だった。
ラストシーンを森の中で撮影することになっている。
最初にヒロインと恋人との回想シーンがあった。
恋人の復讐のために夫を殺害したヒロインが、かつて恋人と幸せな時間を過ごした森の中へと入っていく。
幻想的な森の中での撮影が終わると、スタッフからもため息が漏れる。
良太も原作は読んでいたが、映像になってもこの森の霊気のようなものさえ感じられ、ヒロインに思いがオーバーラップして良太はふと森の中に切ない思いをはせる。
休憩が入り、良太が工藤を探すと、工藤はまた監督と何やら話していた。
このあと工藤は東京に戻ることになっている。
「しばらく会えないな」
あああ、と良太は空を仰ぐ。
「あ、良太ちゃん、こっち、ちょっと来て」
菜摘だった。
菜摘は良太を連れて人気のない、森の近くまでやってきた。
「ねえ、一緒にご飯食べに行こうよ」
「いや、あの、俺……」
菜摘をどう断ろうかと迷う良太の後ろで、「おい」という声がした。
「俊信さん……」
菜摘が男を見て言った。
どうやら菜摘の不倫相手の安達らしい。
「ちょっとこい」
安達は菜摘の腕を掴む。
「いやよ、離して!」
菜摘は嫌がって良太にすがる。
「菜摘!」
「嫌がっているし、やめてください」
「何だと、このやろ」
安達はすごんで菜摘の前に立ちはだかった良太の胸倉を掴む。
「そこまでだ。うちの社員から手を離してもらおう」
漂い始めた霧の中から低い声が聞こえた。
現れたのは工藤だった。
監督と話をしながら、良太と菜摘がこちらに歩いてくるのを工藤は見ていたのである。
そこへ、男が現れた。
「へえ、あんたが噂の工藤か。なるほど、社長が社長だからな、その大事な部下に女優のコマシ方でも教え込んでいるわけだ」
「あいにく忙しすぎてそういう猥雑な講釈をたれているヒマはない」
工藤の言葉に安達は気色ばむ。
「ヤクザの身内のくせに、えらそうな面するな」
「なるほどお前は虎の威を借る狐ってとこか?」
「なんだと?」
さらに好戦的な目で安達は肩を怒らせる。
「いや、狐ほどもない、せいぜいネズミか?」
「貴様、言わせておけば………」
「うちのひよっこに女を取られて喚いているなんざ、そうも言いたくなるだろう? ええ?」
工藤が一歩前に出る。
安達は良太の胸倉を掴んでいた手を乱暴に離し、工藤を睨みつける。
工藤がまた一歩前に出ると安達が一歩後ろに下がった。
迫力負けだろう。
「言っとくが、貴様をつぶすことなんざ、屁でもないんだ」
「教えてやろうか、父親の手を借りなければ何もできないやつのことを虎の威を借るナントカっていうんだ」
「なに……!」
何も返す言葉がみつからないのか、「覚えてろよ!」と低次元の捨て台詞を吐いて、安達は足早に去った。
「ごめんなさい!」
菜摘は二人に謝るとその場から走り去った。
「工藤さん………」
良太は工藤を見つめた。
「手を出すなとはいわないが、女優とヨロシクしたければ、もっとうまく立ち回るんだな」
「何、言ってんだよ、俺は、そんな………」
工藤の言い草に、カッと良太の頭に血が上る。
「言ったはずだ。お前に講釈をたれているヒマはない」
たったかホテルへと戻っていく工藤の背中を良太は睨みつけた。
疲れてるだろうからと、せっかく人が温泉のあるホテル白神に宿を取ってやったのに!
「なーにが、講釈をたれているヒマはない、だ! クソオヤジ! トンチキ! オオバカヤロウ!」
ぽつねんと一人取り残された良太は声を大にして工藤に悪態をつく。
このままドラマのヒロインみたいに、森の中に逃げ込んでやりたくなる。
「…ッキショーめ!」
でもそんなことはできない。
いっちょ前の社会人ってやつは、それをやっちゃあおしまいなのだ。
「俺は考えなしのガキじゃないからな!」
(ぶなの森 より 抜粋)
近づいてきた足音に、思わず良太は個室に入る。
「おい、何も隠れることないし……」
一人突っ込みをしているとトイレのドアが開いた。
入ってきたのは一人ではないらしい。
用を足して、手を洗う音がした。
「あの、俺……」
今いるのが工藤のような気がして、何となく出て行くタイミングを逃した良太がいつ出て行こうか考えているうちに、声がした。
本谷……?
「ほんとに今回色々言ってもらって、すごく勉強になりました。俺、ちゃんとお礼、言いたくて」
「当たり前のことをしているだけだ。礼を言われるような筋合いはない」
少し響く低い声に隠れている良太はドキリとする。
よもや久しぶりに生で聞いた工藤の声がトイレの中とは。
それにしてももちっと言いようがあるだろ、筋合いはないとか言われたら立つ瀬がないじゃん。
心の中で工藤に文句をぶつける良太だが、次の台詞に思わず固まった。
「あの…………俺、あの、工藤さん……が、好き、なんです! そのただの好きってんじゃなくて……」
は?
しばし沈黙があった。
「忙し過ぎるんでお前は、何か勘違いしてるんだ。同じ仕事で同じ環境で数か月一緒にいるとおかしな思い込みをすることもある」
静かに工藤が言った。
「違う! 俺、本気で………でも、やっぱ俺、男だし迷惑だとはわかってますけど、すみません…こんなとこで…」
必死の訴えだと、良太には感じられた。
「お前の本気度までこき下ろすつもりはない。あいにく、こんなオッサンのどこがいいのかわからんが、よく告られるんだ男にも。だが、悪いがお前の気持ちには応えられない」
工藤の言葉は本谷に向けられているはずだったが、何故か良太の心にもズシリと響いた。
「そう……ですか……すみません……」
「謝ることはない。俺は明日からいないが、そういう一生懸命さをドラマでいかすんだな」
「……俺……」
本谷が何か言おうとした時、ドアが開いた。
「あ、いたいた、本谷くん、工藤さんも、監督がなんか呼んでますよ。もう今日の撮影は終わったんですよね~」
明らかに不本意そうなその声はどうやら本谷のマネージャーらしかった。
工藤と本谷も出て行き、トイレはシーンと静まり返る。
(花を追い より抜粋)
工藤は不機嫌な顔もあらわにオフィスを出て、エレベーターで六階に上がった。
このフロアーは応接室続きの社長室になっている。
良太がまた余計なことに頭を悩ませないようにと、わざわざここまでやってきたのだ。
空港で良太の顔を見てほっとしたのもつかの間、代理店プラグインから携帯に入ってきたのは、今進めているドラマと同時進行しているCMのキャストの件でトラブっているという話だ。
日本を代表する大企業の一つ鴻池産業の傘下にある鴻池物産からイタリアンコーヒーブランドの商品「カフェラッテ」のCM制作の話が、数カ月前鴻池物産の宣伝部からプラグインに持ち込まれた。
ここのところ、青山プロダクション関係の仕事でも忙しくしているプラグインとしては大きな仕事である。
プラグインの河崎や藤堂らの古巣である英報堂、日本広告社との三社でコンペとなったが、プラグインのプレゼンが通った、というわけだ。
タレントやロケの日程も決まり、背景となるリヴィエラやローマでは既に撮影が始まっていて、後は俳優のアスカや尾崎貴司の撮影を残すのみというところだった。
そこへ尾崎貴司が膝を怪我して、出演を見送りたいと彼のプロダクションから言ってきたのだという。
鴻池物産がスポンサーとなって、来年早々放映予定になっているドラマも、アスカ主演でもう動き始めているし、尾崎はドラマにも脇で出演することになっていた。
部屋に入るなり、工藤はプラグインの河崎の携帯を呼び出した。
「ああ、どうだ? 長田プロの方は。どの程度の怪我なんだ」
尾崎貴司の所属するのが長田プロだった。
ここ一連のでっち上げ記事の出所が長田プロかもしれないことを考えると、何やら胡散臭いものを背後に感じないではない。
週末からロケの予定になっているのに、こんなところで尾崎に降りられると、何もかもが狂ってくる。
ただの嫌がらせではすまなくなる。
「とにかく、何とか引きずってでも尾崎を連れて行くんだな」
プラグインも必死だろう。
プラグインだけでない、工藤の側としても損失は大きいし、クライアントを怒らせれば、また面倒なことになりかねない。
だが、それよりも気になるのは、良太だ。
小田に調査を依頼した、くらいならまだいい。
また余計なことに首を突っ込んで、突っ走らなければいいが、という危惧が、工藤の頭の中を去来する。
全く、あのガキときたひには…
「イっちゃってるよー、良太~」
バッチーンと背中を叩かれて、良太は「ってぇよ~~、アスカさ~ん」と振り返る。
「ドア見つめて、セツナげな顔しちゃってさ~、かーわい~ったら」
「せ…つなげになんかなってないよっ!」
アスカに追い討ちをかけられて、良太は顔をカーっと赤くしながら自分のデスクに戻り、そそくさとTV局に打ち合わせの確認の電話を入れる。
…くしょお、可愛いなんてアスカさんに言われる筋合いはないぜ。
みんながクスクス笑っている。
出かけるとは言っていないから、工藤はきっと上にいるんだろう。
空港から戻る車の中でも、工藤はほとんど携帯で話していたのだが、何だかちょっと揉めてるみたいだったし、仕事だから仕方がないとはいえ、工藤不在の一週間、帰りを待ちわびていた良太にしてみたら面白くはない。
なーんだよ、あの態度。
コイビトだったらもうちょっと何かあっていいじゃんかよー。
良太は心の中でぶつくさ文句を言う。
そう、一応、良太と工藤は社長と秘書というだけでなく、プライベートでは紆余曲折ありながらも社内公認の「恋人たち」になって半年とちょっと。まだほやほやの湯気が消えてないはずなのだが。
見た目きっちしガイジンのくせに、中身はてんでジャパニーズなんだからな、あのオヤジはよー。
一週間ぶりの熱い抱擁にウチュ~なんてのを望んでいるつもりはないが、何がしかの言葉をかけてくれてもバチはあたらないだろう。
まあ、実際、俺と工藤は恋人、なんてもんじゃないんだよな。
フン、と良太は自嘲する。
(Vacances より抜粋)
面接はこれが始めてではない。
だがこんなに緊張したことはこの世に生を受けて二十二年と半年ほど、身に覚えがなかった。
髪はサラサラ、細面の顔はまあまあ、いつもはヘラヘラしてても、姿勢を正せばきりりと目元涼やか。
痩身だが一七八はある身長。
これでもT大野球部のエースだったのだ。
日本では関西のK大と肩を並べる最難関国立大学T大、というところがミソではあるが。
現在猫のナータンと二人? 暮らし。
自分ではそこそこイケてる男、くらいは思っている広瀬良太である。
青山プロダクション。
目指す会社は乃木坂にあった。
洒落た七階建てのビルのエントランスに入り、受付の電話でやや緊張気味に担当の鈴木さんを呼び出した。
やがて優しそうな年配の女性が現れ、三階の応接室に通してくれる。
ドアを開けると既にリクルートスーツに身を包んだ四人の男子学生がいて、ひょっこり顔を出した良太にきつい視線を投げかけた。
見るからにできそうなメンツに、良太はこれはここもダメかと一瞬たじろいだものの、もはやダメ元というやつだと腹をくくった。
ここまではよかったのだ。
そこへ颯爽と現れた、日本人離れした端正なマスク、大柄のがっしりとした体躯を持つ男。
ダンヒルの渋いスーツを着こなし、一見ハリウッドの俳優かと思われるようなナイスガイだ。
ここって外資系だっけ? なんてくだらない科白を良太が心の中で呟いて数秒。
座りごこちのよさそうな革張りの椅子に深々と腰を下ろし、長い足を組んだその男は、面接に訪れた五人の学生達が窮屈そうにソファに座っているのをジロリと一瞥したかと思うと、どすのきいた低い声でこうのたまった。
「社長の工藤だ。最初に言っておくが、俺の伯父は広域暴力団中山組組長だ。それを踏まえた上でこの仕事をやる気のあるやつだけ残れ。その気のない者はとっとと帰れ」
ぶったまげた。
十二分にびびって動揺したみんなは席を立ってドアへと向う。
つられるように腰を浮かしかけた良太だが、この際仕事を選んでいられない理由が彼にはあった。
工藤は目を眇め、ソファに座り直した良太を見やる。
「お前はやる気があるのか?」
「もちろんです。こう見えても野球部のエースだったんです」
膝の上で両手の拳を揃え、投げかけられた鋭い視線を跳ね返すように、良太は必死に言葉を絞り出した。
「ほう?」
工藤は冷笑を浮かべ、からかうような視線を向ける。
「よし、お前の肩書きは俺の秘書だ。今は身体がいくつあっても足りない。早速仕事に入ってもらうからついてこい」
あれよあれよという間に入社することになり、良太は右も左もわからない業界に足を踏み入れていた。
(お前の夢で眠ろうか より抜粋)
工藤が店を出た時は、七時半を回ったところだった。
歩いてもここからなら約束の八時前には着くだろう。
夜になっても気温が下がらない六本木は人通りが途切れることはない。
人種も国籍も違う人間たちが集う街には、またそこここにいろんな連中が屯している。
もう二十年来この街と付き合ってきた。
それにしても珍しいな、ヤギがホテルのバーとは。
ドアを開けると、客はまばらだが『スマイル』はジャズピアノが小気味よく流れる、静かなバーだった。
工藤はカウンターに座り、マイヤーズをロックで頼んだ。
まだ八時前だから、下柳はあと二十分は来ないだろう。
下柳を待ってグラスを傾けていると、「工藤様いらっしゃいますか?」と店のスタッフが言った。
工藤が立ち上がると、電話が入っているという。
携帯を忘れたといっていたから、下柳がまた遅れるとかいう電話だろうと思い、工藤は店の受話器を持って人のいないレストルーム近くへ移動した。
「工藤だ」
だが、通りの喧騒のような音はしても声が聞こえない。
「もしもし?」
電話はやがて切れた。
「何なんだ?」
仕方なく受話器をスタッフに返してカウンターに戻ると、工藤の席から一つ置いて、女が座っていた。
見るからに夜の女だろう、派手なワンピース、美しくは見えるが造り込んだ顔、年齢はわからなかった。
工藤は一瞥しただけで座り、グラスを持った。
どのくらいの時間か、わからなかった。
だが五分か、十分か、さほど時間は経っていない。
頭がぐらついた。
何だろう、と思った。
思ったあとは、記憶がなかった。
その夜、良太は『からくれないに』の撮影が行われているスタジオにいた。
撮影は朝から続いていて、ようやく終わったのは夜の十一時になろうというしていた。
「お疲れ様です」
山内ひとみや大澤流、端田武、それに本谷和正が帰っていくのを見送った良太は、控室から出てきたアスカに声をかけようとしたところで、ポケットの携帯が振動するのに気づいた。
「はい、あ、こんばんは、お疲れ様です」
相手は小林千雪、『からくれないに』の原作者である。
今頃珍しいと、何となく胸騒ぎがした。
「落ち着いて聞けよ」
「はい? え………」
落ち着けと言われたが、千雪の話に良太は耳を疑った。
「何で……」
絶句している良太に何ごとかよくないことが起きたらしいのを察知して、アスカを伴ってスタジオを出ようとしていた秋山は良太に歩み寄った。
「わかりました」
良太は携帯を切った後もしばし呆然としていたが、「良太?」と秋山に声をかけられてハッと我に返る。
「どうしたのよ?」
アスカも心配して尋ねた。
「工藤さんが、警察に、捕まったって」
秋山は途端、眉を顰めた。
(幻月 より抜粋)
ひとみはそういうと、今度はさっきからグラスを持ったまま体を固くしている本谷に向き直る。
「ちょっと、本谷ちゃん、新人だからって遠慮しなくていいのよ? もう、そんな怖いオジサンが横にいるからよねぇ」
ひとみの科白に坂口に何だかだとかまわれていた良太は、はっと顔を上げてほぼ向かいに並んで座っている工藤と本谷に気づいた。
うっわー、これって、まずいっつうか、何っつうか、どうしよ!
ひとみの言ったように、本谷が固くなっているのが、工藤が怖いからだったらよかったものの、真逆の状況なのに、 良太は一人焦った。
や、別に俺が焦らなくてもいいんだけどさ。
なんか、本人たち以外にあのこと知ってるのは俺だけだし。
や、だからって俺がどうの考えることもないんだけどさ。
なんか、本谷、嘘の付けないやつっぽいし。
ってか、そりゃ工藤が本谷のこと気に入ってもらっちゃ困るんだけど……。
もう一度本谷を見ると、なんだか本当に緊張してるようだった。
「あの……」
「どうだ、今度の役は……」
本谷が意を決したように隣の工藤に話しかけたのと同時に、工藤が本谷に話しかけた。
「あっ……はい、やっぱりまだてんで、ヘタクソで、皆さんにご迷惑かけてばっかで…」
本谷の声は緊張しているからか、やけに大きく聞こえた。
良太がえっと思ったのは、滅多にないことだが、珍しく工藤が罵倒するでもなく誰かに声をかけたからだ。
良太は複雑な面持ちで二人を見た。
嫉妬が混じっていないはずもない。
実際、妙に工藤の表情が柔らかくないか?
(風そよぐ より抜粋)
藤堂が美味しいものを持ってきてくれるのは何もバレンタインとは限らずなので、奈々から藤堂へのチョコを預かったついでに、あまり深くは考えずに藤堂にチョコをあげたこともある。
だったら、工藤にも何かやればよかったかな、なんて。
もっとも、お互いに忙しくて、去年はバレンタインデーなんかあっという間に過ぎてしまったのだ。
だが、二月の終わりに工藤はスキー用具一式くれたし、三月の誕生日には今腕にはめている時計をもらったのだ。
そして暮れには、良太の部屋が一掃されていた。
まだ使えるのに勝手に捨てるなんてと喧嘩になってしまったものの、一応礼は言ったし、工藤の誕生日やクリスマスには、前田の店に工藤の好みの酒を置いてもらうことにしてはいるのだが。
もちろん、お中元とお歳暮という名目で。
バレンタインデーって、やっぱり俺が何かやった方がいいんだろうか。
あの人、そんなのには全く無頓着なんだけど、本人の意思にはかかわらず山のようにプレゼントが届くんだよな。
(バレンタインバトル より抜粋)








