★花のふる日は (抜粋、試し読み)
「一晩かけてただ旧交温めてたわけやないやろ? 彼女の部屋で」
千雪は静かに言った。
京助はしばらく黙り込んだ。
そして徐に口を開いた。
「あいつ、昔、自分の運転する車で事故って、同乗していた姉さんだけ死んだんだ。それからウツになって、薬で抑えて仕事はしていたんだが、俺がこっちに戻ってから、アルコール依存症でしばらく施設に入ってたこともあったみたいで。それも克服して何とかやっていけそうって時に、事故とか目の当たりにしたことがあって、トラウマが出てきたらしい。今度はクスリやるようになったらしくて、実は彼女のマネージャーから連絡をもらったんだ」
車は麻布方面に向かっていた。
京助は自分の部屋へ千雪を連れて行くつもりだった。
それをわかって、ちょうど鳥居坂辺りの信号で停まった時、千雪はいきなり車を降りた。
「おい、千雪!」
慌てて京助は車を路肩に停め、千雪を追った。
千雪は振り向きもせず、歩く。
脇を通り抜ける風は少しばかり優しくなっている気がした。
季節はゆっくりでも着実に春へと向かっている。
「待てって言ってるだろ!」
千雪に追いついて振り向かせると、京助は怒鳴りつける。
「だから、マネージャーのロバートが、クスリを取り上げたら手が付けられないって、あいつが俺を呼んでいるからっていうんで、行ったんだ。確かに! ……確かにただ旧交を温めていたわけじゃない。だが、すがりついて泣き喚くあいつをおとなしくさせるには、それしかなかったんだ。愛情とか何とか、そんな感情は微塵もないんだ!」
千雪は少し深く息を吐いた。
「心配なんやろ? ほな、俺なんか追いかけるより、彼女のとこ行ってやった方がええんちゃう?」
そう言うと、千雪は京助の腕を振り払い、たったか六本木の方へと歩いていく。
京助は千雪に追いつき、並ぶように歩きながら、「悪かった」と言った。
「お前の機嫌を損ねるつもりは、全然なかったんだ」
「機嫌を損ねる?」
こいつは何を言っているのだろう、と千雪は思った。
今までの彼女には、そうやって京助は関係を取り繕っていたわけだ。
いや、優しいのだろう。
目の前で困っている人間を放っておけない。
千雪に対しても優しくなければ、ズボラな自分にここまで世話を焼いてくれたりしない。
少しばかり世話になった教授の息子だからって、律儀に。
自分の仕事に対してはちょっとやそっとではぶれない信念があるし、肩書きやおべんちゃらで人を判断することはないし、人としての器は大きい。
千雪よりもあとから推理小説研究会に入会してきた京助をてっきり同学年と思っていたから、初めて会ったときからタメ口を利いた。
千雪もあまりこだわる方ではないものの、高校までの部活でなら上級生を呼び捨てはなかっただろう。
京助は全くそんなつまらないことにこだわる男ではなかった。
だから、彼女のことも京助にとってはたいしたことではないのかもしれないが。
友人として、京助は大切な存在だと思う。
だからもし、ただの友人同士だったなら、こんな面倒なことにはなっていないのだろう。
こんなイライラも胸の奥のどうしようもない苦い感情も、もうゴメンや。
千雪は心の中で呟いた。
ふいに湧き上がるそんな感情を持て余し、何も手につかなくなる。
欲しいのは優しい眼差し……
欲しいのは……俺に差し伸べられる手……
俺だけに………
『そらあれだけの男や、一人に絞れ、いう方が無理いうもんやな~』
佐久間のいうことが千雪もようやくわかった気がする。
けど、それを理解して付き合うていけるほど俺は寛容にはなれへん。
タグ: 一次創作
■創作BL小説 ■青山プロダクション社長で敏腕プロデューサー、昭和なオヤジ工藤高 […]
工藤が店を出た時は、七時半を回ったところだった。
歩いてもここからなら約束の八時前には着くだろう。
夜になっても気温が下がらない六本木は人通りが途切れることはない。
人種も国籍も違う人間たちが集う街には、またそこここにいろんな連中が屯している。
もう二十年来この街と付き合ってきた。
それにしても珍しいな、ヤギがホテルのバーとは。
ドアを開けると、客はまばらだが『スマイル』はジャズピアノが小気味よく流れる、静かなバーだった。
工藤はカウンターに座り、マイヤーズをロックで頼んだ。
まだ八時前だから、下柳はあと二十分は来ないだろう。
下柳を待ってグラスを傾けていると、「工藤様いらっしゃいますか?」と店のスタッフが言った。
工藤が立ち上がると、電話が入っているという。
携帯を忘れたといっていたから、下柳がまた遅れるとかいう電話だろうと思い、工藤は店の受話器を持って人のいないレストルーム近くへ移動した。
「工藤だ」
だが、通りの喧騒のような音はしても声が聞こえない。
「もしもし?」
電話はやがて切れた。
「何なんだ?」
仕方なく受話器をスタッフに返してカウンターに戻ると、工藤の席から一つ置いて、女が座っていた。
見るからに夜の女だろう、派手なワンピース、美しくは見えるが造り込んだ顔、年齢はわからなかった。
工藤は一瞥しただけで座り、グラスを持った。
どのくらいの時間か、わからなかった。
だが五分か、十分か、さほど時間は経っていない。
頭がぐらついた。
何だろう、と思った。
思ったあとは、記憶がなかった。
その夜、良太は『からくれないに』の撮影が行われているスタジオにいた。
撮影は朝から続いていて、ようやく終わったのは夜の十一時になろうというしていた。
「お疲れ様です」
山内ひとみや大澤流、端田武、それに本谷和正が帰っていくのを見送った良太は、控室から出てきたアスカに声をかけようとしたところで、ポケットの携帯が振動するのに気づいた。
「はい、あ、こんばんは、お疲れ様です」
相手は小林千雪、『からくれないに』の原作者である。
今頃珍しいと、何となく胸騒ぎがした。
「落ち着いて聞けよ」
「はい? え………」
落ち着けと言われたが、千雪の話に良太は耳を疑った。
「何で……」
絶句している良太に何ごとかよくないことが起きたらしいのを察知して、アスカを伴ってスタジオを出ようとしていた秋山は良太に歩み寄った。
「わかりました」
良太は携帯を切った後もしばし呆然としていたが、「良太?」と秋山に声をかけられてハッと我に返る。
「どうしたのよ?」
アスカも心配して尋ねた。
「工藤さんが、警察に、捕まったって」
秋山は途端、眉を顰めた。
ひとみはそういうと、今度はさっきからグラスを持ったまま体を固くしている本谷に向き直る。
「ちょっと、本谷ちゃん、新人だからって遠慮しなくていいのよ? もう、そんな怖いオジサンが横にいるからよねぇ」
ひとみの科白に坂口に何だかだとかまわれていた良太は、はっと顔を上げてほぼ向かいに並んで座っている工藤と本谷に気づいた。
うっわー、これって、まずいっつうか、何っつうか、どうしよ!
ひとみの言ったように、本谷が固くなっているのが、工藤が怖いからだったらよかったものの、真逆の状況なのに、 良太は一人焦った。
や、別に俺が焦らなくてもいいんだけどさ。
なんか、本人たち以外にあのこと知ってるのは俺だけだし。
や、だからって俺がどうの考えることもないんだけどさ。
なんか、本谷、嘘の付けないやつっぽいし。
ってか、そりゃ工藤が本谷のこと気に入ってもらっちゃ困るんだけど……。
もう一度本谷を見ると、なんだか本当に緊張してるようだった。
「あの……」
「どうだ、今度の役は……」
本谷が意を決したように隣の工藤に話しかけたのと同時に、工藤が本谷に話しかけた。
「あっ……はい、やっぱりまだてんで、ヘタクソで、皆さんにご迷惑かけてばっかで…」
本谷の声は緊張しているからか、やけに大きく聞こえた。
良太がえっと思ったのは、滅多にないことだが、珍しく工藤が罵倒するでもなく誰かに声をかけたからだ。
良太は複雑な面持ちで二人を見た。
嫉妬が混じっていないはずもない。
実際、妙に工藤の表情が柔らかくないか?
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