青山プロダクション所属俳優、志村嘉人、そのマネージャーの小杉とスタイリストの清水、そして工藤がフランクフルト国際空港に降り立ったのは、一段と寒い夜だった。
アテネ、エーゲ海などで時間と歴史を盛り込んだミステリードラマ「大いなる旅人」の第四弾の撮影が、現場の準備不足などもあって手間取り、撮影を終えて即、フランクフルトへ移動ということになった。
工藤は今回の撮影の間中、イラつきまくっていた。
現地スタッフは言葉が分からないのをいいことに、結構いい加減な連中が多いので、最初から工藤は怒鳴りまくった。
半分ほどをクビにしろ、と仲介役の男に告げたところ、クビにされては困るらしく、ようやく指示通りに動き始めた。
本来なら、もう一日早くフランクフルト入りし、体を休めてから動く予定だった。
携帯などでチマチマメールしたりするのを嫌っている工藤からは、日本で佐々木と一緒に車の中で電話を受け取って以来連絡もなく、良太からも連絡していなかった。
代わりに小杉とは頻繁にスケジュール確認をし、玲於奈が迎えにいくことを連絡しておいた。
パーティの会場となったのは、一行が宿泊するホテルの一室だった。
良太から撮影が延びており、済んだら即フランクフルトに来るということを聞いた英報堂のスタッフが、一行が疲れているだろうと気を利かせて急きょパーティ会場を変更したのだ。
「お疲れ様です」
志村や小杉、それにドラマの撮影に同行しているスタイリスト兼メイクアップアーティストの清水由里香の後ろから工藤が姿を現すと、良太は何やらほっとすると同時にそれこそ尻尾でも振って駆け寄っていきそうな自分をかろうじて抑えた。
ただ、迎えた一行の表情から、かなりの疲労状態だとも見て取った。
いつも以上に不機嫌そうな顔で入ってきた工藤に至っては、こりゃ、かなりきてるな、と判断する。
「ねえ、広瀬さん、私、工藤さんの気に障ること何か言ったのかも」
一行と英報堂フランクフルト支社長初めスタッフが挨拶を交わし、乾杯をしたあと、玲於奈が良太の腕を引いて壁際に連れて行った。
「ああ、あの人、あの仏頂面がいつもの顔だし。それに実を言うと、工藤、パーティって苦手なんですよ。だから気にすることないです」
良太はちらと工藤に目をやった。
そこにはケーテ女史に潤んだ目を向けられながら、何やら言葉を交わしている工藤がいた。
ちぇ、すぐ、あれだよ。ちょっといい女だと、据え膳食わぬはとかって……
「そうなんですか? よかった。でも、ほんと、工藤さんてステキですね。俳優さんっていってもおかしくないっていうか」
「あの人、ダメダメ。外見はまだしも、すぐ怒鳴るし、演技なんて絶対無理無理。やっぱりうちの看板は志村さんですよ。オーラが違います」
玲於奈にまで憧れの眼差しを工藤に向けさせたくなくて、つい、良太は必要以上に志村を持ち上げる。
クスクス笑いを交わしあう二人は気づかなかったが、その様子に眉間の皺をさらに深めたのは工藤だった。
ケーテがベトッと工藤の傍にいて離れず、いろいろな質問をしてくるのでウザったいと思いつつ、適当に相槌を打つ。
良太のやつ、さっそくあんな小娘にホイホイしやがって。
この大歓迎パーティとやら、いい加減にお開きにしたらどうだ。
こっちは疲れ切ってるってのに、でかい赤ら顔め。
第一、何だって、冬のアウトバーンなんか走らせるんだ、フジタは! このクソ寒いドイツなんかで!
ここにきて疲れている上に、何やらウザったいことばかりが目について、グタグタと心の内で突っかかっている工藤の心の声など、もちろん誰も知るよしもない。
工藤のイライラが通じたのか、睨みつけるような眼差しに恐れおののいたのか、いい機嫌で顔を赤くした英報堂の支社長が、皆さん、お疲れのようだし、そろそろお開きにしようと切り出した。
「志村、ゆっくり休めよ」
工藤は志村に声をかけると、支社長に形ばかりの挨拶をして部屋を出て行く。
それに気づいた良太は、思わず後を追おうとして、「良太くん」と志村のマネージャー小杉に肩を叩かれた。
「あ、お疲れ様です」
「明日からのスケジュール、いい?」
「はい、じゃ、小杉さんの部屋でいいですか?」
そうだった。
うっかり仕事のことが頭から抜けていた。
良太は玲央奈や英報堂のスタッフに挨拶をして、小杉と一緒にエレベーターに乗った。
部屋は予約した時の空き状況の関係で、小杉と清水の部屋は良太と工藤の部屋の上の階に、志村はその上の階となっていた。
「今回、いつも以上に超多忙スケジュールになっちゃってね」
スケジュールの確認が終わると、小杉は現地スタッフがいい加減で、工藤が一時解雇しろと言い出したことなど、ポツリポツリ話しながら苦笑した。
「工藤さんなんか、それこそ雷落とすなんて生易しいもんじゃない、トルネードで何もかも吹っ飛ばしそうなくらいな勢いでカッカきてて、用があっても誰も近づけなくて、ここに良太くんでもいてくれたらなんて、時々志村と話してたんだよ」
「俺なんかいたって、それこそ吹っ飛ばされてますよ」
ハハハ…と笑うが、良太は工藤の機嫌悪そうなようすから案の定だと思う。
常に穏やかで真面目な小杉がそんなことを言うということは、工藤の怒りのボルテージはギリギリまで上がっていたに違いない。
「いつものことながら、工藤さんが一番動いてくれて、疲れようも半端じゃないよ。遅れは一日で留めてかろうじて撮影は終わったのはいいけど」
小杉は目に隈をこさえた顔で言った。
「はあ。皆さんも、じゃあ、相当お疲れですよね」
こりゃ、こっちのあれこれを聞いてもらうどころじゃないや。
はあ、とため息をつき、良太は早々に小杉の部屋から退散した。
いつもながらどんなハプニングがあっても仕事は遂行する、しかも手は抜かない、そんな工藤の信念は揺らぎようがない。
自分の体のことももっと考えろなんて言ったところで、あの男には素通りするだけだ。
だったら、極力工藤を頼らないで自分でやるっきゃない。
こっちにいるうちは、俺にできることをとにかくやっていく。
良太はひとり頷きながら、工藤の部屋のドアを少し見やり、自分の部屋である隣の部屋のキーを差し込んだ。
ドアを開けて入ろうとした良太だが、いきなり後ろ首を掴まれて隣の部屋へ引っ張り込まれた。
「うわっ、何だよっ………」
バタンとドアが閉まる音が聞こえた気がしたが、息をもつがせぬくらいな性急さで唇が蹂躙される。
良太を壁に押し付けたまま、幾度も強襲する口づけに次第に良太の頭の中は何も考えられなくなる。
(限りなく傲慢なキス より抜粋)
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「すげーだろー、良太ちゃん。この太陽がなーー」
下柳が真冬の空に銀色に輝く太陽のシーンをみながら、またしても感動の台詞を吐く。
「ほんと……すんげ……」
「良太ちゃん、初めて見る人なんだから、その視点で何でもいってみて」
「あ、あの、あれ、なんですか? 犬ぞりの右端に写ってる紅いもの」
下柳に促されるまま、見て気づいたこと、思ったことを良太は素直に口にする。
「ああ、あれは雪上車だな。妙に紅いな、カットするか」
無造作に顎に手を持っていきながら下柳が言った。
編集の作業というのが新鮮で、スタッフに良太も混じって画面を見つめることに夢中になっていた。
しばらくして、いつの間にか工藤がきていることに気づき、良太は声をかけようとしたが、何やら腕組みをしたまま宙を見ている。
何かあったのかな。
良太も工藤とは二年以上もつきあっているのだから、工藤がどういう状態なのかくらい大体把握できるようになった。
触らぬ神に祟りなしとか?
とりあえず放っておいたが、やがて良太も工藤も次のスタジオに向う時間が近づいていた。
「じゃあ、またのぞかせていただきます」
「何だよ、もう行っちゃうのか? 良太ちゃん」
気のいいスタッフたちが名残を惜しむ。
笑って手を振る良太だが、前を行く工藤の背中が、何やら重そうな雰囲気なのに首を傾げた。
「中林重工でしたね、えっと、丸の内っと」
ナビで交通情報を確認しながら、良太はハンドルを切る。
さっきからものも言わず、煙をくゆらせている後部シートの工藤をチラと見やり、こっそりため息をつく。
何やら不機嫌そのものの気配が漂ってくる。
俺、また何かやらかしたっけ?
自問自答してみるが、とりあえず大まかなところでは思い当たらない。
「良太」
不意に工藤が声をかける。
「は、い」
「沢村からプロジェクトに誘われているんだってな」
いきなり、工藤の口から飛び出してきた思いもよらぬ内容に、良太は飛び上がりそうになる。
「え、それは…」
何で工藤がそんなこと。
「昼に沢村に会った」
「へ?」
どうして?? 工藤が沢村と?
赤信号で良太は慌ててブレーキを踏む。
「いい話じゃないか」
「何がです?」
良太は思わず聞き返す。
「やつが作る野球チームに入れば、念願のメジャーも近くなるしな。来年はメジャー行きを決めてるそうじゃないか」
「その話ならとっくに断りましたよ、俺」
「断る必要はないだろう? 無理して意に添わない仕事を続けるより、好きな仕事をする方がいいに決まっている」
良太は工藤の言い方にカチンとくる。
「意に添わないなんて、俺は思ってない」
「金のために仕方なく続けてきただけだろう。沢村が肩代わり、いや、金銭トレードってとこか? お前を欲しいと言ってきた。よかったじゃないか。もう、金にしばられることもない」
沢村がよもや工藤に会うなんて思ってもみなかったことだ。
「何言ってんだよ! 俺は仕方なくなんてやってねーよ! せっかく仕事が面白いって思い始めてきたのに」
車は既に丸の内に入っていた。
「笑わせるな。この仕事はちょっとカジったくらいでモノになるような代物じゃない。うちもそろそろ即戦力になる社員を入れようと思っていたところだ。俺もいい加減年だからな。この先、今と同じような状況でやっていけるわけがないのは目に見えている」
それが、実情か。
工藤がちょっとは認めてくれているだなんて。
さっきまで浮かれていた心が急速に凍りついていく。
「つまり、俺はお払い箱ってこと?」
「お前はお前らしい土俵で構えろと言ってるだけだ」
俺らしいね。
良太は口をゆがめて笑う。
(月さゆる より抜粋)
瞼に走った光の帯が眩しくて、佐々木は寝返りをうった。
朝か………何時やろ……
気分は悪くないが、身体が重い。
やっぱ夕べちょっと飲みすぎたかも………。
できればもう少し眠りたいと枕に頬をうずめた佐々木は、ふと額に暖かいものを感じて目を開けたのだが、超絶な違和感に一瞬身体が凍りつく。
………何の…冗談や?
その状況を、佐々木はしばし理解することができなかった。
目の前に横たわる男の腕枕で、まるで守られるように自分が眠っていたという。
あきらかに自分の部屋ではない。
サイドテーブルに置かれた無機質な電話、部屋の広さや調度類からして、おそらくホテルのスイートだ。
次には頭より先に身体の方が動いていた。
男の顔をまともに見る勇気はない。
男を起こさないように静かにベッドを滑り降りた佐々木は、辺りに散らばった自分の服をかき集めると、昨夜クライアントに会うためにと選んだコーデュロイのパンツを履き、シャツを着て上着を羽織る。
転がっていた黒のトリッカーズもやっと探しだしたが、慌てているので履くのにももたついた。
厚い絨毯が足音を消してくれるのが有難かった。
せや、バッグ! どこや?!
焦りながらバッグをリビングのソファで見つけた。
ドアを閉める時、男が起き出したような気配を感じて振り返りそうになるのを留める。
エレベーターホールの前で鏡を見て、佐々木は髪を結わえていたゴムがないことに気づいたが、よもやそんなもののために部屋に戻ることもできず、とにかくロビー階へと降りた。
支払いも男に任せた形になったことに思い当たるが、スイートなんぞに泊まるような男なら任せてしまえと、ホテルを出てタクシーに乗り、運転手に一番町を告げた。
一体全体どうしてこんなことになったのか。
混乱する頭がようやくまともになったのは、佐々木の住まいである自宅の離れに戻り、ベッドに横たわってしばらくしてからだった。
確か夕べ、ホテルのバーで会って話したことは覚えている。
内容がいまひとつ思い出せないのは、いつになく酔っていたからだ。
ましてや見ず知らずの誰かと一夜を共にするなど、どこぞで耳にしたことがある話だが、あくまでもどこぞの話で、常日頃の佐々木からすればあり得ないことだ。
しかも男と。
佐々木周平、一月に誕生日が来ると三十三歳、バツイチ。
なかなかに男らしげな名前からは想像がつかないほど眉目秀麗な容姿の持ち主であることは、彼が生業とするクリエイターとして身を置いている広告業界でも知られている。
モデルや俳優を使ってCMや雑誌広告を創ったりする仕事の中で、下手をすると佐々木自身が誰よりその画像の中に納まるのが似合っていたりするわけで。
特に冬など、ゆったりしたセーターでも着て、バーでグラスを傾けていたりすれば異様に画面にはまる。
ちょっと長めのウエーブがかった柔らかな髪は自前だし、うるさそうにかき上げたりする仕草すら優雅で、自覚なしに周囲を魅惑する。
だがしかし、いくら艶やかな姿にクラッときたからといって、ここで間違っても「お嬢さん、お一人ですか?」なんぞと声をかけたりしてはいけない。
「貴様、殴られたいんか?」
虫の居所が悪ければ、そんな台詞とともに強烈な睨みをきかされるはめになるのだ。
ただし年に一度あるかないかだが、いつもポジティブな佐々木にも、弱い自分が表面に出てくる時がある。
たまたまそれが夕べのことだった。
そんな時は大概、彼のために会社をひとつ作ってしまうほど、その才能も佐々木自身をも大切に保護してきたジャスト・エージェンシー社長の春日が酒の相手をしていたりするので、いつの間にか過ぎていくのだ。
しかし昨夜は佐々木はひとりで、あちこちでパックリ口を開けたかぼちゃどもが、まるで自分をあざ笑っているように思えて動く気力さえなくなり、かろうじてエレベーターで高層階にあがると、そのフロアにあるバーに入ってウイスキーを何杯か開けた。
原因はわかっている。
久しぶりに浩輔に会ったせいだ。
つい二年程前までは佐々木の部下であり、当時佐々木が振られた相手でもある。
いやそのこと自体はそれほど佐々木がこだわっていたわけではなく、むしろ浩輔が佐々木の元を去ってからも元部下として温かく見守っているくらいなのだが、浩輔に去られたことによって、また更に佐々木の深いところの傷を逆撫でしてくれたわけだ。
昨夜、打ち合わせが終わって浩輔と別れてからだ、精神状態が急降下したのは。
そんな佐々木にあの男が声をかけてきたのだ。
「そうや、妙に酔っ払ってしもて、部屋で飲みなおそう言うから、つい……………………」
シャンパンやらワインやらガンガン飲んで、悪酔いしたことに気づいてシャワーを借りた、ことまでは思い出した。
何だか妙にあの男とゲラゲラ笑ってたような気がするが。
それから………どういうわけで、ああなったのか。
何となく残っているこの鈍痛は…………しっかりやられましたってことやろ…………?
一生の不覚ってこのことか? 高校大学と男と寝たことがないわけじゃないが、バックは対象外だった。
常に老若男女に言い寄られてきたものの、別れた妻を始めとして、付き合ったのは大抵ふんわりした可愛い子だったはずだ。
佐々木は自分を笑い、だる重い身体をようやく起こすと、シャワーでも浴びて会社に顔を出すべく、バスルームに向かった。
(来いってウソだろ?! -Tricky Night- より抜粋)
その日はロケの最終日だった。
ラストシーンを森の中で撮影することになっている。
最初にヒロインと恋人との回想シーンがあった。
恋人の復讐のために夫を殺害したヒロインが、かつて恋人と幸せな時間を過ごした森の中へと入っていく。
幻想的な森の中での撮影が終わると、スタッフからもため息が漏れる。
良太も原作は読んでいたが、映像になってもこの森の霊気のようなものさえ感じられ、ヒロインに思いがオーバーラップして良太はふと森の中に切ない思いをはせる。
休憩が入り、良太が工藤を探すと、工藤はまた監督と何やら話していた。
このあと工藤は東京に戻ることになっている。
「しばらく会えないな」
あああ、と良太は空を仰ぐ。
「あ、良太ちゃん、こっち、ちょっと来て」
菜摘だった。
菜摘は良太を連れて人気のない、森の近くまでやってきた。
「ねえ、一緒にご飯食べに行こうよ」
「いや、あの、俺……」
菜摘をどう断ろうかと迷う良太の後ろで、「おい」という声がした。
「俊信さん……」
菜摘が男を見て言った。
どうやら菜摘の不倫相手の安達らしい。
「ちょっとこい」
安達は菜摘の腕を掴む。
「いやよ、離して!」
菜摘は嫌がって良太にすがる。
「菜摘!」
「嫌がっているし、やめてください」
「何だと、このやろ」
安達はすごんで菜摘の前に立ちはだかった良太の胸倉を掴む。
「そこまでだ。うちの社員から手を離してもらおう」
漂い始めた霧の中から低い声が聞こえた。
現れたのは工藤だった。
監督と話をしながら、良太と菜摘がこちらに歩いてくるのを工藤は見ていたのである。
そこへ、男が現れた。
「へえ、あんたが噂の工藤か。なるほど、社長が社長だからな、その大事な部下に女優のコマシ方でも教え込んでいるわけだ」
「あいにく忙しすぎてそういう猥雑な講釈をたれているヒマはない」
工藤の言葉に安達は気色ばむ。
「ヤクザの身内のくせに、えらそうな面するな」
「なるほどお前は虎の威を借る狐ってとこか?」
「なんだと?」
さらに好戦的な目で安達は肩を怒らせる。
「いや、狐ほどもない、せいぜいネズミか?」
「貴様、言わせておけば………」
「うちのひよっこに女を取られて喚いているなんざ、そうも言いたくなるだろう? ええ?」
工藤が一歩前に出る。
安達は良太の胸倉を掴んでいた手を乱暴に離し、工藤を睨みつける。
工藤がまた一歩前に出ると安達が一歩後ろに下がった。
迫力負けだろう。
「言っとくが、貴様をつぶすことなんざ、屁でもないんだ」
「教えてやろうか、父親の手を借りなければ何もできないやつのことを虎の威を借るナントカっていうんだ」
「なに……!」
何も返す言葉がみつからないのか、「覚えてろよ!」と低次元の捨て台詞を吐いて、安達は足早に去った。
「ごめんなさい!」
菜摘は二人に謝るとその場から走り去った。
「工藤さん………」
良太は工藤を見つめた。
「手を出すなとはいわないが、女優とヨロシクしたければ、もっとうまく立ち回るんだな」
「何、言ってんだよ、俺は、そんな………」
工藤の言い草に、カッと良太の頭に血が上る。
「言ったはずだ。お前に講釈をたれているヒマはない」
たったかホテルへと戻っていく工藤の背中を良太は睨みつけた。
疲れてるだろうからと、せっかく人が温泉のあるホテル白神に宿を取ってやったのに!
「なーにが、講釈をたれているヒマはない、だ! クソオヤジ! トンチキ! オオバカヤロウ!」
ぽつねんと一人取り残された良太は声を大にして工藤に悪態をつく。
このままドラマのヒロインみたいに、森の中に逃げ込んでやりたくなる。
「…ッキショーめ!」
でもそんなことはできない。
いっちょ前の社会人ってやつは、それをやっちゃあおしまいなのだ。
「俺は考えなしのガキじゃないからな!」
(ぶなの森 より 抜粋)
近づいてきた足音に、思わず良太は個室に入る。
「おい、何も隠れることないし……」
一人突っ込みをしているとトイレのドアが開いた。
入ってきたのは一人ではないらしい。
用を足して、手を洗う音がした。
「あの、俺……」
今いるのが工藤のような気がして、何となく出て行くタイミングを逃した良太がいつ出て行こうか考えているうちに、声がした。
本谷……?
「ほんとに今回色々言ってもらって、すごく勉強になりました。俺、ちゃんとお礼、言いたくて」
「当たり前のことをしているだけだ。礼を言われるような筋合いはない」
少し響く低い声に隠れている良太はドキリとする。
よもや久しぶりに生で聞いた工藤の声がトイレの中とは。
それにしてももちっと言いようがあるだろ、筋合いはないとか言われたら立つ瀬がないじゃん。
心の中で工藤に文句をぶつける良太だが、次の台詞に思わず固まった。
「あの…………俺、あの、工藤さん……が、好き、なんです! そのただの好きってんじゃなくて……」
は?
しばし沈黙があった。
「忙し過ぎるんでお前は、何か勘違いしてるんだ。同じ仕事で同じ環境で数か月一緒にいるとおかしな思い込みをすることもある」
静かに工藤が言った。
「違う! 俺、本気で………でも、やっぱ俺、男だし迷惑だとはわかってますけど、すみません…こんなとこで…」
必死の訴えだと、良太には感じられた。
「お前の本気度までこき下ろすつもりはない。あいにく、こんなオッサンのどこがいいのかわからんが、よく告られるんだ男にも。だが、悪いがお前の気持ちには応えられない」
工藤の言葉は本谷に向けられているはずだったが、何故か良太の心にもズシリと響いた。
「そう……ですか……すみません……」
「謝ることはない。俺は明日からいないが、そういう一生懸命さをドラマでいかすんだな」
「……俺……」
本谷が何か言おうとした時、ドアが開いた。
「あ、いたいた、本谷くん、工藤さんも、監督がなんか呼んでますよ。もう今日の撮影は終わったんですよね~」
明らかに不本意そうなその声はどうやら本谷のマネージャーらしかった。
工藤と本谷も出て行き、トイレはシーンと静まり返る。
(花を追い より抜粋)
良太はむっつり黙りこくったまま、みんなの後ろからゲレンデに出た。
小笠原は、どうしたんだ、と良太を心配して声をかけたが、アスカや秋山はあえて何も聞いてこない。
しかもまたしても招かれざる客がそこに登場したのだ。
少なくとも良太にとっては。
出掛けに、小笠原の携帯が鳴った。
ホテルのロビーで、小笠原はしばらく携帯で何やら話し込んでいたが、やがて、彼は一人の派手な美女を連れて現れた。
「北海道にロケにきたんだけど、なんか、こっちに裕二がいると思って電話したのよ」
くせのある美人女優、黒川真保。
裕二とはドラマで共演して以来、二人の噂もたったことがあった。
豊満な身体と魅惑的な目、色っぽさは天下一品。
だが真保は、裕二とはまったく友人関係、と豪語している。
ただし良太は酔った弾みで小笠原が口走ったのを覚えていた。
一度は寝たのだと。
このやろう、思うものの、それも男と女の事情だから仕方あるまい。
ところが、昼を食べて、またゲレンデに繰り出した頃。
真保が小笠原ではなく、工藤にぴったり張り付いているのだ。
黒とダークグレーのウエアをゆったり着こなした工藤は、常にも増して大きく見える。
スキーを自由自在に操って滑る工藤を見てからというもの、俄然、真保が工藤に懐き始めたのだ。
女を武器に、工藤の腕にしなだれかかり、ゲレンデでしっかりモーションをかける。
そんな二人がリフトに乗り込むのを、良太はムッとした顔で見送った。
ったく、何でこう、タイミングよくか、悪くか知らないが、変なやつが現れるんだよ!
良太はカッカきて、一人、がむしゃらに滑りまくる。
第一、工藤自身がそれを喜んでいるんじゃないのか。
小笠原は二人を見てにやにや笑っているだけで、どうやら彼女に対して別に何の思い入れもないらしい。
クッソー!!
何だか知らないが、何でこうなるんだよ!
今頃工藤と一緒に滑ってるのは俺のはずだったのに!
あのヤクザのご一行といい、このイロケ過多女といい、良太にとっては、目障りこのうえない。
それでも、夢中で滑っている時はまだよかったのだ。
上の方から吹雪になりはじめていた。
良太は、自分の腕にそう自信があるわけでもないから、スキーも難なくこなしていた小笠原のあとについて降りかけた。
アスカと秋山は小一時間ほど前に、お茶するからと二人で早々と麓に降りていた。
そこへ、上から颯爽とやってきて、二人の横を滑り降りていったのは、工藤と真保だ。
しゃくに障るのは、真保も工藤にしっかりついていくくらいの腕だということだ。
良太と小笠原もそれに続くように、割りと急な勾配へとスキーを滑らせる。
下の方で工藤がスキーを止めた。
どうやら後ろをついてきていた真保が転んだようだ。
工藤は、真保がひっくり返っているところまで斜面を上がると、手を差し出して起こそうとした。
「あ!」
小笠原が小さく叫ぶ。
はたと良太がその方向へ目をやると、真保が工藤の首に腕をかけて、キスしている。
少なくともそれ以外には見えなかった。
既に良太と小笠原も二人の近くまで滑り降りていた。
「見せつけてくれるねー!」
小笠原がひゅっと口笛を吹く。
「やあね、裕二ったら」
そんな真保の科白を聞いた途端、かーっとなった良太は、無我夢中で下まで滑り降り、とっととホテルまで帰ってしまった。
そういうことかよ!
わかったよ。
勝手にやれよ!
俺は帰る。
良太はシャワーも早々に、帰る準備を始めた。
「工藤さん、何かあったの? 良太ってば、ものも言わずに部屋に戻って、ご飯にも降りてこないのよ」
午後八時、ホテルのレストランに集まった面々の中に良太の姿はなかった。
アスカが気にして工藤に聞いてくる。
「そうなんだよ、昨日、帰るなり良太、勝手に部屋にあがっちまってさ」
「何かあったの?」
アスカが訝し気に小笠原の顔を覗き込む。
「それがよくわかんねーんだよ。急に、さっさとホテル戻ってきちまってさ。しいて言えば…」
その先を言う前に、やおら工藤が立ち上がったと思うや、エレベーターホールに消えた。
「何よ?」
工藤を横目で追いながらアスカは小笠原を睨みながら問い詰める。
「いや、真保のこと、ひょっとして良太、好きだったのかな、とか」
噂の真保はどうやらドレスアップに時間をかけているらしく、まだ現れていない。
「どういうことよ、何で良太が」
アスカがさらに小笠原を問い詰める。
「だから、真保と工藤がキスしてるの、偶然俺たち見ちまって」
「何よ、それ!」
アスカは声を上げる。
「なるほど、それで、工藤さんもそわそわしてたんだ」
傍で聞いていた秋山がしたり顔で笑った。
(静かな夜には より抜粋)
工藤は不機嫌な顔もあらわにオフィスを出て、エレベーターで六階に上がった。
このフロアーは応接室続きの社長室になっている。
良太がまた余計なことに頭を悩ませないようにと、わざわざここまでやってきたのだ。
空港で良太の顔を見てほっとしたのもつかの間、代理店プラグインから携帯に入ってきたのは、今進めているドラマと同時進行しているCMのキャストの件でトラブっているという話だ。
日本を代表する大企業の一つ鴻池産業の傘下にある鴻池物産からイタリアンコーヒーブランドの商品「カフェラッテ」のCM制作の話が、数カ月前鴻池物産の宣伝部からプラグインに持ち込まれた。
ここのところ、青山プロダクション関係の仕事でも忙しくしているプラグインとしては大きな仕事である。
プラグインの河崎や藤堂らの古巣である英報堂、日本広告社との三社でコンペとなったが、プラグインのプレゼンが通った、というわけだ。
タレントやロケの日程も決まり、背景となるリヴィエラやローマでは既に撮影が始まっていて、後は俳優のアスカや尾崎貴司の撮影を残すのみというところだった。
そこへ尾崎貴司が膝を怪我して、出演を見送りたいと彼のプロダクションから言ってきたのだという。
鴻池物産がスポンサーとなって、来年早々放映予定になっているドラマも、アスカ主演でもう動き始めているし、尾崎はドラマにも脇で出演することになっていた。
部屋に入るなり、工藤はプラグインの河崎の携帯を呼び出した。
「ああ、どうだ? 長田プロの方は。どの程度の怪我なんだ」
尾崎貴司の所属するのが長田プロだった。
ここ一連のでっち上げ記事の出所が長田プロかもしれないことを考えると、何やら胡散臭いものを背後に感じないではない。
週末からロケの予定になっているのに、こんなところで尾崎に降りられると、何もかもが狂ってくる。
ただの嫌がらせではすまなくなる。
「とにかく、何とか引きずってでも尾崎を連れて行くんだな」
プラグインも必死だろう。
プラグインだけでない、工藤の側としても損失は大きいし、クライアントを怒らせれば、また面倒なことになりかねない。
だが、それよりも気になるのは、良太だ。
小田に調査を依頼した、くらいならまだいい。
また余計なことに首を突っ込んで、突っ走らなければいいが、という危惧が、工藤の頭の中を去来する。
全く、あのガキときたひには…
「イっちゃってるよー、良太~」
バッチーンと背中を叩かれて、良太は「ってぇよ~~、アスカさ~ん」と振り返る。
「ドア見つめて、セツナげな顔しちゃってさ~、かーわい~ったら」
「せ…つなげになんかなってないよっ!」
アスカに追い討ちをかけられて、良太は顔をカーっと赤くしながら自分のデスクに戻り、そそくさとTV局に打ち合わせの確認の電話を入れる。
…くしょお、可愛いなんてアスカさんに言われる筋合いはないぜ。
みんながクスクス笑っている。
出かけるとは言っていないから、工藤はきっと上にいるんだろう。
空港から戻る車の中でも、工藤はほとんど携帯で話していたのだが、何だかちょっと揉めてるみたいだったし、仕事だから仕方がないとはいえ、工藤不在の一週間、帰りを待ちわびていた良太にしてみたら面白くはない。
なーんだよ、あの態度。
コイビトだったらもうちょっと何かあっていいじゃんかよー。
良太は心の中でぶつくさ文句を言う。
そう、一応、良太と工藤は社長と秘書というだけでなく、プライベートでは紆余曲折ありながらも社内公認の「恋人たち」になって半年とちょっと。まだほやほやの湯気が消えてないはずなのだが。
見た目きっちしガイジンのくせに、中身はてんでジャパニーズなんだからな、あのオヤジはよー。
一週間ぶりの熱い抱擁にウチュ~なんてのを望んでいるつもりはないが、何がしかの言葉をかけてくれてもバチはあたらないだろう。
まあ、実際、俺と工藤は恋人、なんてもんじゃないんだよな。
フン、と良太は自嘲する。
(Vacances より抜粋)
「よう、成瀬、マック寄るだろ、マック」
ざわつく教室を出るなり、二人の顔なじみが近づいてきた。
佑人は無表情で彼らに目をやった。
「あれ、おい、力、どこ行くんだよ、マック寄らねぇの?」
ひょろっと背の高い東山一義が、佑人の肩に腕を回したまま、山本力がスタスタと廊下を歩いていくのに気づいて声をかける。
「使い、頼まれてんだよ、おふくろに」
うざったそうな声が答える。
「なぁんだよ、マック寄ってからでいいじゃん」
東山の後ろから、小柄でやせっぽちのくせにどこに入るのかと思うほどよく食べる高田啓太が言った。
「まあ……、ちっとならいいけどよ」
少しばかり逡巡したような表情をみせ、力が歩みを弱めた。
「おっしゃ」
東山は佑人の返事も聞かないうちに佑人を促して力の後ろを歩く。
誰が見ても体育会系と思うだろう、大柄で頑丈そうな体躯のお陰で山本力はどこにいても目立つ。
その後ろを茶髪の東山や、頭を茶と黒が入り交ざったような色に染めた高田がひょこひょことついていく。
ここのところ、それが当たり前のようになった。
都合があると言わない限り、佑人の意思はあまり聞かれたことがない。
「マックマック」
「っせーぞ、啓太。ガキみてぇに」
重みのある低音で振り向きもせず、力が啓太を怒鳴りつける。
「だってよぉ、腹減ってんだって」
この一団がやってくるのに気づくと、ただでさえ無愛想な上、凄みのある目つきで睨みを利かせている力がいるのだ、廊下を歩いていた生徒たちは黙って彼らに先を譲る。
だらしなく学生服のボタンをいくつかあけて、リュックを背負っている啓太や東山などもあまりまともな生徒には見られていない。
いわゆる落ちこぼれ、学校の鼻つまみ者、関わりあわない方がいいだろうろくでもない連中、ヤンキーと決めつけられているのだ。
まあ、ヤンキーというなら山本力は彼らの上をいくらしい。
母親がクラブをやっている関係で、お水の女と付き合っているだの、ヤクザと喧嘩して目をつけられているだの、素行不良で停学をくらっただの、ろくな噂はない。
かろうじて出席日数は足りているものの、教師の間では明らかにブラックリストの筆頭のようだ。
教師たちの評判とは裏腹に、力は生徒たちからは妙に人気があった。
それに一応成績がほどほどだということでは、力は東山や啓太と一線を画している。
授業をサボることは多いが、体育祭などの行事にはちゃんと参加し、しかもリーダーシップを発揮して期待通りの活躍をする。
一年の時の球技大会では、バレーで二年のクラスを相手に力の重いスパイクが決まって勝利をもたらしたことで、一気にその名は知れ渡った。
部活には所属していないが、サッカーをやらせても野球をやらせても、時折、部活で毎日トレーニングしている連中が嫌になるような才能を発揮するのだ。
それに精悍で男前なマスクは女生徒を引きつけるのに充分で、高校入学当時から力の彼女と言われた女生徒が校内、他校含めて何人いたことか。
「そういや、力、りえちゃんとどうよ? 最近」
「知るか。あっちが勝手に誘ってきただけだ」
力はぶっきらぼうに即答する。
「うっそだろぉ? 杉山女子のりえちゃんだぞ? このあたりじゃ、ヤローどものマドンナなんだぞ?」
東山の声が裏返る。
「うざってぇんだよ、べたべたしやがって」
「お前、何のためにつきあうんだよ? べたべたするためだろぉが?」
「じゃあ、お前がつきあえよ」
うるさそうに力は言い捨てる。
―――――別れたんだ………
佑人はこっそり心の中で呟いた。
一番この集団の中で違和感があるのは佑人だろう。
一人、染めてない柔らかい髪はさらさらと小奇麗に整い、銀縁のめがねは学年一番の成績を物語るにふさわしい。
きちんと学生服のボタンはとめられ、羽織ったコートはバーバリー、品行方正でいいところのおぼっちゃんを絵に描いたような少年だ。
とはいえ、試験明けに上位の成績が張り出される時くらいはその名前が他の生徒たちの前に知れるものの、常に控えめで物静かな佑人は、いるのかいないのかわからないような存在だと思われている。
よく見れば眼鏡の下はひどくきれいな顔をしているのだが、気づいたものは少ないかもしれない。
それにしても、こうも頻繁に力や東山らのグループと一緒にいれば、生徒の間でも、また教員たちからも、明らかに佑人はワルのグループに無理やり引っ張り込まれて、おそらくイジメを受けているに違いない、などとという評判も聞こえてくるというものだ。
二年生になり、この面々と同じクラスになって間もなく、この違和感のあるグループが自然とでき上がっていた。
体育の時間の着替えの折、佑人の身体に時々打ち身のあとなどがあるのを見たらしく、クラスメイトが担任にご注進に及んだのがきっかけで、実際佑人も担任から呼び出され、イジメを受けているのではないかと心配されたこともあった。
そんな事実はないと、佑人はきっぱりと否定したが、どうやらそれは力たちに脅されているせいで本当のことが言えないのだろうと思われているようだった。
勝手にどうとでもとればいい。
投げやりだとはわかっている。
中学を卒業する頃には、佑人は誰にも期待を持たなくなっていた。
誰も信じることをやめた。
友人も教師も、誰も。
家族以外には。
佑人にとってそれはひとつの防衛手段だ。
中学時代のあの時のように、あんな風に傷つくのはもうごめんだったから。
だから静かに、なるべく目立たず、口数も少なく。
傍観者の目で見ていると、大概、人が何を考えて動いているのかがわかってくることもある。
「じゃあ、今日は僕がおごるね。昨日、おこづかいもらったばっかだから」
金を出せ、といわれる前に、佑人はみんなのリクエストを聞いて、カウンターの前に並ぶ。
少し笑みさえ浮かべて。
「お金はいくらでもあげる。それで収めることができるのなら、それもひとつの選択肢よ」
決していい方法とは思わないけど、とつけ加えた母親の心配そうな顔が佑人の脳裏に蘇る。
そんな母親や優しい家族に心配をかけるようなことはしないと、佑人は自分に誓っていた。
だから、このグループにいることで担任とかが騒ぐのは勝手だが、親に何か言ったりしないでほしいと、佑人は思っている。
別にこんな連中と友達になりたいなんて、塵ほども思っていない。
けれど、やっぱりあいつの傍にいたい。
そんな思いをどうしようもないのだ。
一年の春、同じ校舎の中で力を見つけたときの驚き。
クラス対抗のバレーの試合では逸る気持ちを抑えられず、いつの間にか心の中で応援していた。
二年になって偶然にも一緒の時間を共有できるようになったことが嬉しくて。
(空は遠く より抜粋)
★花のふる日は (抜粋、試し読み)
「一晩かけてただ旧交温めてたわけやないやろ? 彼女の部屋で」
千雪は静かに言った。
京助はしばらく黙り込んだ。
そして徐に口を開いた。
「あいつ、昔、自分の運転する車で事故って、同乗していた姉さんだけ死んだんだ。それからウツになって、薬で抑えて仕事はしていたんだが、俺がこっちに戻ってから、アルコール依存症でしばらく施設に入ってたこともあったみたいで。それも克服して何とかやっていけそうって時に、事故とか目の当たりにしたことがあって、トラウマが出てきたらしい。今度はクスリやるようになったらしくて、実は彼女のマネージャーから連絡をもらったんだ」
車は麻布方面に向かっていた。
京助は自分の部屋へ千雪を連れて行くつもりだった。
それをわかって、ちょうど鳥居坂辺りの信号で停まった時、千雪はいきなり車を降りた。
「おい、千雪!」
慌てて京助は車を路肩に停め、千雪を追った。
千雪は振り向きもせず、歩く。
脇を通り抜ける風は少しばかり優しくなっている気がした。
季節はゆっくりでも着実に春へと向かっている。
「待てって言ってるだろ!」
千雪に追いついて振り向かせると、京助は怒鳴りつける。
「だから、マネージャーのロバートが、クスリを取り上げたら手が付けられないって、あいつが俺を呼んでいるからっていうんで、行ったんだ。確かに! ……確かにただ旧交を温めていたわけじゃない。だが、すがりついて泣き喚くあいつをおとなしくさせるには、それしかなかったんだ。愛情とか何とか、そんな感情は微塵もないんだ!」
千雪は少し深く息を吐いた。
「心配なんやろ? ほな、俺なんか追いかけるより、彼女のとこ行ってやった方がええんちゃう?」
そう言うと、千雪は京助の腕を振り払い、たったか六本木の方へと歩いていく。
京助は千雪に追いつき、並ぶように歩きながら、「悪かった」と言った。
「お前の機嫌を損ねるつもりは、全然なかったんだ」
「機嫌を損ねる?」
こいつは何を言っているのだろう、と千雪は思った。
今までの彼女には、そうやって京助は関係を取り繕っていたわけだ。
いや、優しいのだろう。
目の前で困っている人間を放っておけない。
千雪に対しても優しくなければ、ズボラな自分にここまで世話を焼いてくれたりしない。
少しばかり世話になった教授の息子だからって、律儀に。
自分の仕事に対してはちょっとやそっとではぶれない信念があるし、肩書きやおべんちゃらで人を判断することはないし、人としての器は大きい。
千雪よりもあとから推理小説研究会に入会してきた京助をてっきり同学年と思っていたから、初めて会ったときからタメ口を利いた。
千雪もあまりこだわる方ではないものの、高校までの部活でなら上級生を呼び捨てはなかっただろう。
京助は全くそんなつまらないことにこだわる男ではなかった。
だから、彼女のことも京助にとってはたいしたことではないのかもしれないが。
友人として、京助は大切な存在だと思う。
だからもし、ただの友人同士だったなら、こんな面倒なことにはなっていないのだろう。
こんなイライラも胸の奥のどうしようもない苦い感情も、もうゴメンや。
千雪は心の中で呟いた。
ふいに湧き上がるそんな感情を持て余し、何も手につかなくなる。
欲しいのは優しい眼差し……
欲しいのは……俺に差し伸べられる手……
俺だけに………
『そらあれだけの男や、一人に絞れ、いう方が無理いうもんやな~』
佐久間のいうことが千雪もようやくわかった気がする。
けど、それを理解して付き合うていけるほど俺は寛容にはなれへん。
パーティの顔触れは、仕事関係だろうリーマン組にモデルやタレントなども交じって華やかさを競っていた。
「きゃあ、アレ、加藤なみえじゃない?」
「見て、堀ノ内壮太!!」
人気俳優やタレントを見つけて有頂天になっているのは直子や保奈美だけではない。
土橋や、あんなに文句を言っていた大沢までもが、タレントの女の子たちのところへいそいそと飲み物を運んでいる。
「しかしでかいねえ、この別荘。河崎グループの御曹司ともなると、我々庶民とは生きる世界が違ういうわけやねえ」
佐々木は呆れたように感心すると、ゆっくりと辺りを見回した。
新しくはないがこの建物は別荘というよりホテルのように豪奢で、ゆったりと快適そうな空間が広がっていた。
「あ、佐々木ちゃんじゃない、久しぶりぃ!」
浩輔は中に入っても佐々木の後ろに隠れるようにしてくっついていたのだが、その佐々木までが顔見知りのモデルの美女と出くわし、腕を取られて人の輪の中に紛れてしまった。
やっぱり来るんじゃなかった。
渋々みんなについてきた浩輔は、広いリビングの隅から動く気になれない。
河崎はやっぱり女に囲まれていた。
相変わらず煙草を離さないんだよな…って、今更俺には関係ない…か。
『上司に意見するたぁ、いい度胸だな』
『でも、吸いすぎは身体によくないです』
『タバコ屋のクサいコピーを口にするな』
豪快な振る舞いや少し粗野な仕草も、何も変わっていない。
つい、視線が河崎を追ってしまう。
さやかの指が河崎の手に触れる。
女たちの甲高い笑い。
河崎の声を耳にするたび、身体が震える。
ふいに、河崎がこちらに顔を向けた。
途端、浩輔はその場を逃げ出し、レストルームを探して飛び込んだ。
俺って、まだ懲りてないのかよ!
惨めな自分とは決別したはずだったのに。
今また思い知らされる、記憶の底に沈めるには凄烈すぎる時間。
車で別荘に着いた時、浩輔はさやかの冷ややかな視線に迎えられた。
自分に対しては、刺だけでなく、どこまでも毒がある気がする。
河崎さんが男の俺なんかに手を出したからか? けど、今もこうして付き合っているのは彼女じゃないか。
どうして能天気なコースケで放っておいてくれないんですか。
もうマジんなるのはゴメン。
報われねー思いに泣くのはつらいもん…
無論、後足で砂をかけるようにして逃げ去った自分などにもう用はないだろうし、意気地のない部下だと嘲ら笑ったくらいだろう。
だが、その事実が浩輔の胸を締めつける。
あんなに熱い思いを抱いていた人だ。
自分から逃げたのだとしても。
どんなに身の切り裂かれる思いだったかなんて、あの人にはわかるまいけれど。
好きだった。
でもそれを口にすることはできなくて。
ちょっと寝たくらいで、恋人気取りはやめろ、ナニ様だと思ってる、そんな罵詈讒謗を浴びせられるのが関の山だった。
逃げるしかなかったんだ。
なけなしのプライドと、ズタボロの心を抱えて、逃げるしか……。
気がかりは残してきた猫のチビスケだった。
河崎のマンションで飼っていた、無垢な緑色の目を思い出すと、目頭が熱くなり、浩輔は慌ててバシャッと顔を洗う。
ほの暗い灯りの中で、浩輔は鏡の中の成長のない子供じみた自分の顔を見つめた。
「なんて、なっさけない顔、してんだよ」
ドアが開いたので、慌てて出ようとして、入ってきた男とぶつかった。
「すみま…」
男の顔を見た浩輔は息を呑んだ。
「前の上司がせっかく招待してやったのに、一言も挨拶がないってのは、納得いかねぇな」
グイと腕を掴まれて、引き寄せられる。
急激に体温が上昇する。
握りしめた拳が小刻みに震えている。
その眼差しは浩輔を射抜くかのようにきつく、暗く深い陰りを湛えていた。
怖さと同時に、掴まれている手から、浩輔は身体が蕩けるような熱さを感じて戦慄する。
「コースケ、いるんか?」
佐々木の声がして、パッとドアが開いた。
「こいつが、何かそそうでも?」
河崎に腕を取られたままの浩輔を見て、佐々木は眉を顰める。
「久しぶりに昔の部下と会ったんで、これから旧交を温めようと思ってね」
そう言いつつ、河崎は浩輔の腕を掴んだまま離そうとしない。
「そうなんか? コースケ」
「いえ…あの…」
佐々木に問われても答えるべき言葉が見つからない。
「無理強いは感心しまへんな。おいで、コースケ」
詰りを含んだ目で佐々木はしっかと河崎を見据えた。
河崎はようやく浩輔を離した。
「前はあなたの部下やったかも知れへんけど、今はウチの大事なデザイナーですよって」
佐々木は念を押すようにそう言いおいて、浩輔を抱えながらその場を立ち去った。
(誰にもやらない より抜粋)









